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Renaissance

一般社会はいずれもその中にいくつかの特定社会を含んでおり、一般社会の文明の程度が低ければ低いほど、その中の特定社会は一層自律的で、またその輪郭もそれだけはっきりしている。われわれのような近代社会においては、世俗的社会と宗教的社会つまり俗対聖という区分以外には、あまり明確なものは存在しない。ルネサンス以来これら二つの特定の社会の間の関係は、諸民族、諸国家においてありとあらゆる変遷をたどってきた。
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ルネサンスの神秘思想 (講談社学術文庫)ルネサンスの神秘思想 (講談社学術文庫)
(2012/02/10)
伊藤 博明

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 先日読み終えたイタリア・ルネサンス期思想史の総決算というべき一冊、ピーコ・デッラ・ミランドラ、ジョバンニ(Pico della Mirandola,Giovanni)を中心としている少々風変わりな一冊といえる。風変わりとはいっても、ルネサンス期の 神学に詳しい方々にとっては、一般的なのかもしれません。
  若干、自分の想像していた内容とは異なる(予備知識を持ち合わせていない)主旨だったので、少々、戸惑いながら読み終えることになってしまった。

 もともと、本書は、学術書として出版されているが、実際には微妙なところ。学術書としていながらも、占星術やオカルトを加えているので、どうしても違和感を感じざるを得ない。

 本来、ルネサンス期を描いた書籍と言えば、メディチ家を軸として、都市の発達や職人の技術革新、商人層の台頭などや、もしくは、古代ギリシャの異教文化を準えた芸術の浸透を描くことが多い。その後、少し遅れてルターを中心とした宗教改革でまとめるのが一般的なところである。
 しかし、本書に関しては、宗教改革には一切触れていない上に、メディチ家すら脇役程度にしか使っていない。あくまでも、(神秘)思想史を中心にしている。反対に、そこが本書の面白いところではある。ただ、自分が、神秘思想自体の体系や本質をよく理解していないことと、それに加えて、なじみのないルネサンス期の神学者が頻繁に登場することに少々困惑してしまったのが実情である。

 本書の展開においては、それらの神学者の登場は必然的である。それというのも、もともと、本書の底本・原本がイタリア・ルネサンス期における古代の「神々の再生」を主題としているためであり、それら異教の神々の解釈をプラトンというフィルターを通して解説・翻訳し世に広めたのがイタリア・ルネサンス期の神学者であったからである。(アウグスティヌスではなく?)また、本書は西洋観の底流にある一神教的なものに秘められた哲学的=宗教的シンクレティズム(諸説混淆)を主題に据えていることも題名から読み取れる。
 そのような理由で、本書は、教科書的な『文芸復興』とは異なり、ルネサンス期における古代ギリシャ・ローマの学芸の復興とは何を意味しているのかを問う、もう一歩踏み込んだ内容になっているといえる。 


 本書を紐とくことで、イタリア・ルネサンス期の代表的神学者、先述のピーコをはじめフィチーノや、クリュソロラス(神学者というより学者)達の功績が理解できる。ルネサンス期において、多数翻訳されている古代の作品が、彼ら神学者によるものだということわかる。 特に、フィチーノによるラテン語訳は、後の執筆にも影響を与えていることが想像できる。     

   本書の第3章では、特に、そのフィチーノを中心に取り上げている。異教哲学とキリスト教の仲介者として、“プラトン・アカデミー”の学頭で、コジモ・デ・メディチの庇護下にあったフィチーノは、当時、*『ヘルメス選書』をはじめとして、プラトンの全作品を翻訳し、『プラトン神学』など執筆活動も精力的におこなっている。本章では、そのフィチーノを中心に(ピーコを説明する伏線として)、イタリア・ルネサンス期独特のプラトン主義(Platonism)哲学とキリスト教神学の結合の経緯を説明をしている。
 ただ、ここで説明しているプラトン主義哲学とキリスト教神学の融合には、いくつかの問題がある。(<愛について>ギリシャ的エロースとキリスト教的アガペーの融合を表しているのだが) 実際には、イタリア・ルネサンス期のプラトン主義というのは、プラトンの思想から随分と離れてしまっている。
 そのかわり、これらイタリア・ルネサンス期に創作されたプラトンの思想?は、後の英米文学のなかに浸透しているようだ。

*因みにコジモが、初めてフィチーノに依頼した仕事が『ヘルメス選書』の翻訳らしい。 
 

少々、脱線してしまったが、
 換言すると、本書の前半は、異教である古代神学や哲学と、キリスト教神学との融合にいたる関係性、それらの翻訳、もしくは解説する仲介者として、もしくは、橋渡し役となるルネサンス期の神学者(フィチーノ、ピーコなど)の存在について説明することを主旨としている。しかしながら、プラトン・アカデミーをはじめとして、フィチーノらが率先したプラトン主義哲学とキリスト教神学の融合には、いずれにしても疑問がのこる。

 本書で述べられている疑問点も同じではある。
 もともと、古代ギリシア人のプラトンはオリュンポスの神々を信仰対象にしていたはずで、キリスト教およびヘブライ人の信仰を知る由もないはずである。仮にプラトンが、異教の地を巡回していたことを仮定してもこの二つを繋げるには無理がある。 
 それにも拘らず、『プラトン神学』のもとでこの二つ結合させてしまう。いま一つ腑に落ちないところである。ヘルメスがエジプトの地で先駆的にキリスト教の訓えを暗示していたというだけでは、根拠として乏しい説明である。イタリア・ルネサンス期にはこのような創作が多いように思われる。後述するが、ゲオルギオス・ゲミストスによるゾロアスターも同様である。      

  ともあれ、フィチーノらによる、そのような不可解な宗教的結合は、コジモからの要請なのか、アウグスティヌスの影響なのか、はたまた、プラトン贔屓の*ゲオルギオス・ゲミストスの影響なのか憶測の域を出ない。 残念ながら、本書では、このあたりの説明が明瞭ではない。但し、どのような意図があったにせよ、フィチーノはヘルメスとゾロアスターから始まり、オルフェウス~ピュタゴラスを介してプラトンに完成をみる<古代神学> の系譜を構想していたことは間違いないようだ。

 そのような系譜の説明として、第5章や第6章で同様の説明を展開している。
 古代神学の系譜の説明以外にも、特筆すべき点が多い。二つの記述は、第5章エジプトの誘惑のヘルメス・トリスメギストス~アスクレピオスに関する『ヘルメス文書』・『ヘルメス選書』の解説や、第6章古代神学と魔術において、ゾロアスターに関する『カルデア人の託宣』の記述で、ヘルメス(メルクリウス)やアスクレピオス、ゾロアスターの説明を行っている。この『ヘルメス文書』や『カルデア人の託宣』 はヘレニズム期特有のシンクレティズムを呈していて、東西の思想が交錯していることが手にとるようにわかり愉しめた。

 本書の巻末に記載されている(第7章・8章)占星術やカバラはユダヤ教からキリスト教が分離された時期紀元後2世紀に成立したもののようだ。当然、時期的にグノーシス主義の影響が色濃いのも頷ける。簡単にグノーシス主義と書いてしまったが、その定義も多岐におよんでおり、実際には、意見の分かれるところのようだ。ここでは、キリスト教から見た異教思想としてのグノーシス主義 としてとらえている。
 ちなみに「カバラ」はヘブライ語で「受け取ること」を意味しているそうである。「伝承」あるいは、「伝統の伝承」の意味があるそうだ。あくまでもユダヤ教の伝承形態を表しているようだ。 
 


 ここまでが本書の大筋ではある。異教との融合に対して寛容なヒエロニムス、アウグスティヌス、ディオニュシオス、フィチーノ、ピーコまでの流れは、ピーコ没後にサヴォナローラの神政政治により退けられることになる。

プラトンをプラトンのままに、アリストテレスをアリストテレスのままにさせよ、彼らをキリスト教徒にしてはならない


 後に火刑に処されるサヴォナローラのキリスト教的ラディカリズムというべき思想は、奇しくも、ピーコの甥にあたるジャンフランチェスコ・ピーコに引き継がれることになる。ここにも、16世紀の宗教改革~反宗教改革へつながる激動の時代の兆候が読み取れる。それはルネッサンス期に人々が、キリスト教などの宗教に対しても、自由で合理的判断を下すことができるようになったことの現れではないかと勝手に思い描いている。

  少々、長く書き連ねてしまったが、今回は、未知のルネサンス像を知ることができて有意義な読書となった。 かなり苦戦はしたが、副次的な収穫もいくつかあった。
①偽ゾロアスター像の創作者でもある、ゲオルギオス・ゲミストス 「プレトン」の人物像 
②フィチーノの翻訳・執筆書籍とその解釈の仕方
③プラトン主義と、イタリア・ルネサンス期キリスト教との関連性
④ゾロアスターのルネサンス期的解釈
⑤ヘルメス(=メルクリウス=トート) ⇒ アスクレピオス


 特に、ゾロアスターに関してはニーチェの『ツァラトゥストラ』と少なからずリンクしているように思われる。ルネサンス期にプレトンによって創作された偽ゾロアスター像に『ツァラトゥストラ』は少なからず影響を受けているのではないだろうか。 占星術≒カルデア人≒マグス(マゴス)=ゾロアスター

 
 



 
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