2013年08月

Phantasm,simulacre,and parody

ニーチェと悪循環 (ちくま学芸文庫)
ニーチェと悪循環 (ちくま学芸文庫)
(2004/10/07)
ピエール・クロソウスキー

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 村井則夫著 『ニーチェ ― ツァラトゥストラの謎』 の参考文献にも「研究書」として紹介されていました。 
ニーチェ関連書籍としては 有名な一冊のようです。

 それに反して、クロソウスキー自身は、本書を偽りの研究書と述べております。 本書冒頭から

P10
 これは類まれな無知を示す書物である。以前から語られてきたことの総決算をおこなわずして、「ニーチェの思想」だけを語ることがどうしてできるだろう。それは一度ならず踏みしめられた道跡に、幾度となくたどられた足跡に、足を踏み入れる危険をおかすことではないか。すでに乗り越えられた問いのかずかずを軽率に問うことではないか。

 訳者の兼子氏の解説を要約すると以下のような具合です。

 本書においては、序文として紙幅はとっておりながらも、それらしい説明はされていない。
それに加えて、論文とは呼べないような、読み手を置き去りにする説明の羅列が多く、
さらに、引用文献 の出典も不明瞭とのこと。


 たしかに、ニーチェの作品の解釈の仕方、その作法(身ぶり)を中心に述べているのはわかる。
ただ、如何せん、その説明がムツカシイ。

  ニーチェ思想をわかりやすく解説することの不毛な努力を避けているだけなのか。
それとも、単に、われわれがニーチェ思想を、自分の為に、恣意的に解釈することを拒んでいるだけなのか。

 ニーチェ思想とは悪意に満ちた迷宮か?単なる道化か?

訳者兼子氏の言葉を借りるなら、
ニーチェ思想に一貫性を与えようとする誘惑に抗い、言葉に潜む同一性の罠へ抵抗すること、それこそが本書の「身ぶり」であるといえそうだ。

P95
思考する行為は受動的な行為であるということ。その受動性は言語の諸記号の固定性に基づいており、それらの記号のさまざまな組み合わせは、言語を沈黙においやるさまざまな身ぶり、さまざまな運動を模倣しているだけだということを。

 ニーチェを解釈するということは、 ニーチェ思想を利用しているだけなのだろうか。
本書は「ニーチェ思想」という深淵につながる開口部となりえるだろうか。
20130601
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