2012年10月

Who is that?

弾左衛門とその時代 (河出文庫)弾左衛門とその時代 (河出文庫)
(2008/01/05)
塩見 鮮一郎

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 数年前に読了した書籍です。ブログに書き残すために改めて読みなおすことにしました。

 本書の内容からは、すこし逸れてしまいますが、1990年代に被差別民のルーツをさぐる史学・民俗学的な研究が急速に進んだという内容が網野氏の書籍に記されておりました。いわゆる、アカデミックな分野には、既成概念にとらわれて調査が進んでいない、もしくは、見過ごされている分野があるようです。網野氏の説明の受け売りになってしまいますが、史学において、ある特殊な分野の職種・職能を説明する学術用語が存在しないため論文による紹介ができないことも書かれておりました。(正確には、該当する専門用語がない史実は、論文として認められないということらしいですが・・・・・・)

 そのため、学術的研究だけでは、正確な史実を十分に捉えきれないのかもしれないなどとぼんやり考えておりました。ただ、実際にはそのようなこともなく、直近においても、新しい研究者による極めて綿密なフィールドワークが進展しているようです。
 そんな取り留めのないことを考えていた折に、ちょっとした縁に触れて、塩見鮮一郎氏の著作にたどり着きました。同氏は、もともと河出書房の編集者であり、このジャンル(とくに近世の弾左衛門制度)におけるスペシャリスト的な著述家です。個人的には、「在野の研究者」として著者を捉えております。ここ1~2年のあいだ、史学の権威、 網野氏の著作と塩見氏の本を読み比べておりましたが、両者どちらも著述に対する真摯な姿勢があらわれていて内容に全幅の信頼がおけます。



 本題にもどりますが、
 本書の主題である、職掌『*弾左衛門』も含め、被差別民は、特殊な『職能民』であったというのが学術的な見解の一部をなしております。あくまでも、見解の一部ではあります。 その職能も多種多様であることもあって、まだ、完全な解明がされていない研究分野です。人権にかかわる要素も有するため繊細な対応が問われるようです。 

  その特殊な職能民のなかに、神人、境守、山守、猿引、長吏、傀儡師、乞食などや、猿楽などの芸能民などが含まれます。なぜ、蔑視されるようになったのかについては、部分的ではありますが、未解明の事柄もあり、未だに完全なる解明には達しておりません。
 また、上述した職能民のなかでも、神人はその職能分野が特殊で、本書においては、座をつくり、独占的に油や灯芯などを扱っていた職能民として描かれています。神人は、僧形・覆面の出で立ちの集団で非人とはことなる俗体、童形の河原者集団であり神事にかかわりが深く、自らを聖別させようとしていたようです。
 また、本書のなかでは扱われていませんが、春日大社の神人などは、黄色い袈裟を着て、ご神体である球体を移動させるだけの職務をおこなう職能民であったと伺ったこともあります。ただ、この後者の春日大社の神人は、神人のなかでも、かなり特殊な職能民で、先述の座をまとめる神人の方が一般的であると考えられます。 


 ともあれ、本書の『弾左衛門』は、もともとは、灯芯の専売権を有していた神人の末裔であり、長吏頭であったという説が主流のようです。また、処刑係であったという説もあり謎が多いです(もともと、中世においては、神人や馬借が住宅破却の刑吏を担当していた史実もある)。 また、『弾左衛門』は、表向きの史実として出てくることが少ないため、明確な由緒書などの古文書があっても照らし合わせるべき情報が少ないのも問題点のひとつといえそうです。本書巻末に弾左衛門由緒書や頼朝御証文も添付されておりますが、神人の証文のなかには利権を狙った偽書もあり鵜呑みにはできないということもあります。 この点については、塩見氏にとっても織り込み済みのようでして、下調べが綿密に行われており、真偽のほどは間違いなさそうです。

*弾左衛門:
関八州の組織化された非差別民の管理、斃牛馬処理の独占的運営、下級刑吏による治安維持を担っていた。人の名前ではなく職掌を表しています。「第13代弾左衛門 矢野直樹」といった具合です。 「弾左衛門」の「弾」の字には、「ただす」、「罪をただす(弾す=糺す)」の意味があるそうでして、古くは律令制での警察機関も「正台 だんじょうだい」と呼ばれていたそうです。 



 



 本書においては、近世以降の「弾左衛門」制度についての著述に特化していますが、中世後期、後北条氏の極楽寺由比の弾左衛門や 、近世前後の、小田原長吏の太郎左衛門、大磯の長吏 助左衛門、古沢の太郎右衛門に関する説明も記載されています。 このことは、下記の一文を結論としている証左と言えそうです。


P148
 江戸時代における「弾左衛門制度」というのは、家康によって創成されたものではなく、中世後北条のころのシステムを踏襲したものである 。



 弾左衛門制度というスポット的な調査ではありますが、塩見氏がかなり深いところまで調べていることがわかります。本書を読むと学術研究と相変らぬほどの綿密な調査、フィールドワークを行っている様子が垣間見れるとおもいます。
 
弾左衛門の支配をのがれた芸能民のなかに歌舞伎があります。以下はウィキペディアからの引用です。


芸能民のなかでも、傀儡師や歌舞伎は弾左衛門の支配を脱したと受け取られた。1713年初演の歌舞伎十八番の一つ『助六』は、市川團十郎 (2代目)が弾左衛門の支配から脱した喜びから制作したもので、悪役の髭の意休は、1709年に死去した弾左衛門集誓をモデルにしたと言われている(特に初期の公演では、意休が被差別部落の人間であることがはっきり分かる描写があったという)。Wikipedia参照

補足:ちなみに、『助六』の正式呼称は、『助六所縁江戸桜 すけろくゆかりのえどざくら』です。
 

 塩見氏や、網野氏の、このような本を読むたびに、自分が日本の史実の表面的なものしか学んでいなかったことに気づかされます。

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