2012年08月

saddharma-pundarika

仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書)仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書)
(2011/10/22)
植木 雅俊

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 本書の趣旨は、仏教に関する比較文化論です。仏教が、インド、中国、日本へと伝播する間に変遷していく思想や文化が題材になっています。また、サンスクリット語で書かれているインドの原始仏典から、中国、日本で語り継がれている仏教思想を見直すという面白い観点からも著されています。

 本書の冒頭に扱われる「北枕」の風習などは良い例で、日本では縁起が悪いとされていますが、インドでは良い寝方とされています。中国には全くそのような風習は無いそうで、同じひとつの風習(寝方)に関しても、三国がそれぞれ個別のとらえ方をしていて実に面白いです。この「北枕」の風習の 淵源は「涅槃経」の中に描かれている釈尊の入滅シーンに由来しているようです。つまり、「縁起が悪い・良い」ということは、仏典に書かれていることではなく、日本人やインド人が勝手に「縁起が悪い・良い」と勘違いしてとらえているだけだったりします。
 

 ともあれ、本書を読むうえで、着目した点は以下の2点

1.サンスクリット語、パーリ語に関する基礎知識

2.仏教思想の比較文化論がどのようなものか 

 
 いままで、サンスクリット語や、パーリ語仏典のような原始仏典に関する知識がなかったため、曖昧にしか関連書籍を読むことができていませんでした。また、日本語で読書をするうえでは、サンスクリット語に触れる機会はほとんどありませんので、本書はサンスクリット語に「慣れる・なじむ」という意味でも参考になります。

 本書の中で扱われるサンスクリット語の単語のなかには、puruşa’人間  vyaghra’トラ  simghaライオン など、同じインド・ヨーロッパ語族の流れを汲んでいるとは思えないほど、英語のスペルからは程遠い単語が多いですね。ちなみにライオンを意味する 「simgha シンハ」は沖縄のシーサーの語源となっているようです。 但し、日常生活のなかで、サンスクリット語を使う機会は、まず無いでしょう(苦笑)。   

  前段で触れたように、本書では、各々のセクションのなかで、サンスクリット語(スペルも含めた)説明文が合間合間にはいってきます。そのため、人によっては、好ましく思わない方もいらっしゃるかもしれません。ただ、スペルと発音が併記されているほうが、より理解を深められるのでお得な感じがします。 スペルや発音からいろいろなイメージにつながる面白さがあると感じるのはわたしだけでしょうかね。





 本来の純粋な意味での仏教思想とは、原始仏典に基づく思想ではないかと考えています。本書の冒頭にはこのようなことも書かれています。

P10

 最初に、インド仏教の原型である原始仏教の基本思想について見ておこう。それを見ると、われわれが日本において日ごろ身の回りで目にする仏教とは、ちょっと違うという印象を持たれる方が多いのではないかと思う。それは、すでに釈尊滅後のインドにおいて、原始仏教から小乗仏教、大乗仏教、密教という変遷を経ていること、さらには中国、日本での受容の段階において変遷を経ているからである。 
 
  インド仏教の歴史は、次のように要約できる。 
  ①釈尊在世(前463~前383)のころ、および直弟子たちによる原始仏教(初期仏教)の時代。                      

  ②前3世紀、アショーカ王の命でセイロン(現、スリランカ)に仏教が伝えられる(後のパーリ聖    典の原型)。 
 
  ③前3世紀末ごろに部派仏教(後に小乗仏教と貶称される) の時代に入る。

  ④小乗仏教に対して、紀元前後ごろ大乗仏教が興り、大小併存の時代が続く。

  ⑤7世紀以降、呪術的世界観やヒンドゥー教と融合して密教が興る。




 以前から、なぜ、呪術的な思想やヒンドゥイズム、バラモン教や密教(タントリズム)、道教の思想が混在した仏教が日本に多いのか不思議でなりませんでした。神道における八幡神を中心とした神仏習合の影響が関係しているのかと思っていましたが、インドから日本に東遷してくる間に、純粋な意味での原始仏教(正しくは、仏法 buddha-dharma  P61参照)は他の宗教の特色が混ざりこんでしまっているとしか言いようがないです。 当然日本での受容過程でも、仏教の本質は損なわれているといえます。
 
 しかし、タゴールはこの点を見抜いており、(原始)仏教の以下の点を高く評価していたようです。

①仏教は徹底して平等を説いた。
②仏教は迷信やドグマや占いなどを徹底して排除した。
③仏教は西洋的な倫理観を説かなかった。

 本書でも、密教にとりいれられた「護摩=homa」や「沐浴」などには懐疑的です。釈尊在世時にも、護摩と木浴などの迷信やドグマは否定されています。それらの譬え話も記載されています。

 また、原始仏典の思想に近く、差別的な思想をできる限り取り除いた思想をふくむ法華経を翻訳の題材として取り上げる点においては、著者の優れた洞察力がうかがえます。 

 



 本書のいたるところに、植木氏の人柄の良さが読み取れます。植木氏が研究に精進されているのは、中村元先生の評価を正当なものとするためではないかと思われるふしもあるぐらいです。お二人の美しい師弟関係もP206「中村元先生の最終講義」で垣間見ることができ、清々しい気持で読み終えることができました。

 本書は、植木氏の翻訳者としての立場からも著述されています。そのような著述の仕方を欠点のように書評で書かれている方もいらっしゃるようです。
 わたしは、サンスクリット語を和訳する際に、どのような苦労があったかを窺い知ることができて興味深いとおもます。


 

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