2012年04月

I saw the devil

imageCAOMJ4UZ ニーチェ②   128px-Friedrich_Nietzsche_Signature_svg.png

 先日、自宅でDVD映画観賞をしていまして、
その際、他の映画作品の紹介で「ニーチェの箴言」が使われおり、思わず、声をあげて見入ってしまいました。真っ黒な背景に白抜きの文字で「ニーチェの箴言」が浮かび上がってくる様子に感動して、興奮してしまいました。

「善悪の彼岸」箴言と間奏曲 146
P112
怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである。
新潮文庫 竹山道雄 訳


 この箴言、なんらかの復讐劇に使われるだろうとは思っておりました。
 実際にこの映画を見たわけではありませんが、宣伝の雰囲気とニーチェの箴言はよく合っています。

 どうやら、この作品 「悪魔を見た」は、韓国のサイコサスペンス映画みたいです。
 
 私は、映画を鑑賞するにあたっては、あらすじよりも、セリフやキャッチコピー、もしくは、映像や思想に惹かれて観ることが多いため、商業主義のメジャーな映画はほとんど見ることがありません。ある意味、偏屈な嗜好で映画も選んでいるといえます。
 また、私の選ぶ映画の傾向性として、頻繁に暴力的なシーンが出てくる作品や、倫理観の欠如した作品も多いようです。そのような類の作品も、暴力や不道徳(悪徳)を比喩として捉えて観ると嫌悪感や違和感なく鑑賞できます。思想や言葉に重点を置いてみれば童話のような作品もあります。
 
 この映画も残虐なシーンが多いわりには、(キャッチコピーに)使われている言葉に深みがあります。

http://isawthedevil.jp/



 

  Der Antichrist.  Versuch einer Kritik des Christentums
 
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 若いころ、(敬虔なクリスチャンである)カナダ人に、“Anti-Christ アンチクリスト”の語義やイメージをたずねたことがあります(本来、こんな質問はタブーだとおもいます)。 “アンチクリスト”という言葉の概念は、単に「キリストの教義に反する者」という意味だけではなく、「Evilで悪魔的な人物」を指すと説明をうけました。 流石に、少々、驚きました。この言葉は、単に、無神論者という意味だけではなく、もっと邪悪でキリスト教的文化に対して破壊的な害悪をなす存在を表しているようです。もちろん、キリスト教の教義を信じていないだけでは、“アンチクリスト”とは呼ばれないとはおもいます。



 

 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 反キリスト(はんキリスト、Antichrist)は、イエス・キリストの教えに背く人。聖書では新約聖書のヨハネの手紙一(2:18、2:22、4:3)、ヨハネの手紙二(1:7)にのみ記述されている。ヨハネの手紙2章22節においては、イエスがキリストであることを否定する者を反キリストであるとしている。キリスト教の終末論においては、真実に対極し、悪魔の具現化であると解釈され、最後の審判の際に苦しみが与えられるとされ、救いは決して得られないとされる。  

悪魔について  
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Beelzebub ↑ 
 (悪魔・悪霊の類のひとつであり、ベルゼバブ、ベールゼブブとも表記される。新約聖書にもその名がみえる。この名はヘブライ語で蠅の王を意味する。もともとは、ペリシテ人の豊穣の神とのこと)。

 

 

 そうすると、 アンチクリスト Der Antichrist.  Versuch einer Kritik des Christentums を著した
ニーチェは邪悪で悪魔的な思想家ということになるのでしょうか?


 先日、 適菜収訳:アンチクリスト  Der Antichrist.  Versuch einer Kritik des Christentums
を読み終えました。
 本書は1888年9月、ニーチェ43歳(同書の松原氏の解説では、44歳と記されていますが、ニーチェの誕生日は10月15日です。間違いです。44歳の誕生日を期に執筆したのは、『この人を見よ』です)のときに執筆された作品で、当初は「偶像の黄昏」に含まれていた内容を切り離して、作品化したのが本書です。当時、1888年の4月~6月の2ケ月間をトリノにて過ごしたニーチェは大いにこの土地を気にいり、その高揚感が執筆意欲にも反映されたようです。

 また、本書は、あくまでも、ニーチェにとっては気晴らしの著述作品に過ぎなかったようです。1888年の創作意欲のすべては、『この人を見よ』  に注がれていたとペーター・ガスト宛ての書簡に書かれていたそうなので。
 
 今回、本書を読むにあたって、ちくま学芸文庫ニーチェ全集14巻の 原祐訳:(アンチクリスト)反キリスト者 との比較を試みるという意図もあり、両文献を照らし合わせながら読んでいましたので、少々時間をかけ過ぎてしまいました。
 前者の適菜氏訳は、従来の原氏訳に比較すると、かなり、簡略化されています。ただ、押さえるとこはしっかり押さえてあるので、翻訳に問題はありません。しかし、読みやすくするために、ニーチェ独特のまわりくどい表現は省略されています。そのため、辛辣な表現や、皮肉が和らいでしまっている感は否めません。まるで、全く違う思想家の書いた「ニーチェ風」論考書籍のような感じさえします。繰り返すようですが、あくまでも現代語訳なので、主旨自体はさほど逸脱していません。最終的に、どちらを選ぶかは、読む側の好みの問題になるかと思います。
 
 両書のなかで、ニーチェはキリスト自体は批判していません。むしろ、キリスト当人には、敬意を払っているかのような文言さえでてきます。つまり、ニーチェは、「ドグマ」や、「教会」と「僧侶等の聖職者」がキリストの思想を歪めていると判断して、批判しています。 当然、キリスト教徒にも、カトリック、プロテスタントにかかわらず批判の矛先が向けられています。
 
  本書では、仏陀や老子、マヌ法典等の東洋思想もとりあげています。不思議なことに東洋思想への批評は、穏やかな表現が多いです。ただ、何事に対しても、絶対視しないニーチェですので、全面的に認めているわけではありません。しかしながら、キリスト教に比較すると、東洋思想への好意を示す表現の方が多いと感じました。

キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)
(2005/04/21)
フリードリッヒ・ニーチェ

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P176
今日をもとにして。
すべての価値を転換せよ!

Der Antichrist.  Versuch einer Kritik des Christentums
適菜収訳

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