2012年03月

"ἐποχή ” epokhế


『呪われた部分 有用性の限界』  
La Part Maudite  La Limite de  L'utile
Georges BATAILLE GALLIMARD1976     中山元 訳 
 この著者は、怖ろしい人物です。 完全な狂人です。 


 

  博識ですが、とんでもない狂人です。構造主義以降の思想家連中に拾い上げられたみたいですね。
フーコーデリダドゥルーズのような人たちが見出したなら、まぁ、仕方がないですね同類みたいなものなので。
 
 それよりも権威主義のハイデガーが、何故それほど、バタイユを絶賛しているのか疑問です。まぁハイデガー自体が簡単に権力に靡いてしまう人物なので、たいしたことありませんが、その点、バタイユは主張を曲げませんね~、怖ろしいくらいに自分の思想に忠実です。  
 
 その思想に忠実な彼の狂気炸裂のエピソードですが、自分自身を生贄として捧げたいとアセファル(オカルトサークルみたいなもの)の仲間に本気で頼んだらしいです。おそらく、「体を切り刻んでくれ」とか、「心臓を抉り取ってくれ」だとかを頼んだのではないでしょうか。それは、仲間もいやがって止めるわなぁ~。

 脱線してしまいましたが、
 とはいえ、本書『呪われた部分 有用性の限界』はバタイユの作品にしては上品な方です。
「眼球譚」「大腸肛門」などの小説に比べれば、雲泥の差があります。この2作品を読んだ人は辟易としていることでしょうね。まぁ、彼の当時の精神状態を考えると仕方ない作品ですね。わたしも、こわいもの見たさで、同2作品を某所で拾い読みしようと思いましたが、読後の嫌悪感と、作品の内容が想像できたので途中でやめました。しかし、出版社もよく出版する気になったなぁとおもいます。

 
 バタイユの予備知識と人物像の紹介はコレくらいにして、本題に入ります。
   
 
呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)
 
  

 
 個人的な主観に基づく、
本書:La Part Maudite 
呪われた部分  La Limite de  L'utile 有用性の限界
キーワード 
供犠と「太陽」、 自己の贈与」、
過剰なものの浪費」、 栄誉・栄光」とそれに対立する「有用性」の6つになるのではないかと考えています。そのなかでも、「供犠」の概念が主軸であると考えています。すこし、思うところがありまして、これらの詳細についての記載を控えます。

 
La Part Maudite  La Limite de L'utile
Georges BATAILLE GALLIMARD1976     中山元 訳

 
La Part Maudite (precede de La Notion de Depense)La Part Maudite (precede de La Notion de Depense)
(1967/01/01)
Georges Bataille

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  本書を読み始めた理由の一つは、

 この題名から古典派・新古典派経済学(現代の経済学思想の主流)への批判、反駁の材料に使えないかと考えたことが発端です。 バタイユの言葉をかりるとすれば、普遍経済学から制約された経済学への批判になるのでしょうか。
 つまり、拾い読みする程度の扱いにしていた本ということです。しかし、考えが甘かったようですね。簡単に扱える本ではないことに気がつき、精読に切り替えました。精読するほどの本かな?と、ときおり自問自答しておりましたが。
   
  このバタイユの著述は、良く言うと、文学的表現が多彩です。悪く言うと、論旨が錯綜して、整合性を欠いています。そのため、基礎知識がないと理解しにくいかもしれません。バタイユの著作全般にいえることのようですが、とにかく意図していることがわかり難い。ただ、本書に関しては、後半に著者の草稿、原案があるのでそれがガイド役にはなります。それでも、わかりにくいですが。

例えばコレです。
P86
・・・・・・獲得は、手にいれたものを失うことを「目的」としている。喪失について、功利主義的な説明をするのは、余計なことだろう。喪失が生という意味をもっていること、閉じた富裕化のシステムが不毛となったときには、喪失が豊穣なものとなることが多いのはたしかだ。しかしこの喪失による豊穣さは、それ自体が「目的」ではない。この喪失によって、新たな喪失が可能となることに、この喪失の根拠を、「目的」をみいだすべきなのだ。人間の生は、星辰の輝きのようなものとして生きられる。根底においては人間の生は、この光輝のほかに目的をもたない。その栄誉にこそ、究極の意味があるのだ。

 文章表現としては、綺麗だとおもいます。
「獲得」とは獲得するまでのプロセスの喪失であり、「喪失」から湧出する苦悩や怖れが、主体(苦悩している各個人)のなかに惹起させるもの、それ自体に究極の意味があるといっているのだとは思いますが、とにかくわかり難い。わたしの説明もかなりわかりにくいですね。



 また、世間一般でいう「栄誉ある行動」というと、救出活動とか慈善活動だとかを思い描きますが、
狂人バタイユの場合は、全く異なる行動を指し示しています。

P80
「利益を追求する人間」の社会は、栄誉ある行動に対立するものだった。

 「有用性」と「栄誉」との対立をあらわしていますが、栄誉ある行動に関しては、かなりグロイ事例を挙げています。

P81
アステカの商人の「栄誉ある行動」について語ってきたことは、西洋の非人間的な文明が依拠している有用性の原則に、異議を申し立てるものである。

 ここに書かれている「栄誉ある行動」というのは、西洋文明からは道義や理性に反した行動や習俗全般をさしています。本書のこの第2章非生産的な浪費での例は『カニバリズム 食人習俗』と『蕩尽 ―いわゆる破産するほどの浪費』のことです。狂人バタイユにとっては、西洋文明のほうが非人間的であるということです。食人習俗の方が人間的ということ?らしいです。
 
 見聞きするに耐えない「食人習俗」などの醜悪なものは、得てして、衆目を集めるものです。それは恐怖や嫌悪感が人に「なにかわからないもの」を喚起させるからなのかもしれません。「醜悪なものや俗悪なもの、もしくは恐怖」(客体)が各個人(主体)の内奥になにを呼び覚ますのかは、よくわかりませんが、バタイユはこの内奥に生成する「なにかわからないもの」に執着していたようです。

 バタイユは、西洋的(道徳、常識、品位、理性などを包摂する合理主義的)価値観を「気持ち悪いくらい」徹底的に否定(ある意味では、ニーチェよりも厳しい否定)することを貫いた人物ですので、彼にとってカニバリズムごときは普通の聖なる習俗ぐらいに感じていたのではないでしょうか。かなり、悪趣味ともいえますが、その醜悪なもの(もしくは俗悪なもの)に撞着させたのは彼独特の神秘主義思想と彼の生い立ちだったのではないかと考えています。

P45-46 
 何の役にも立たないものは、価値のない卑しいものとみなされる。しかしわたしたちに役立つものとは、手段にすぎないものだ。有用性は獲得にかかわる。 ― 製品の増大か、製品を製造する手段の増大にかかわるのである。有用性は、非生産的な浪費に対立する。人間が功利主義の道徳を認める限りにおいて、天は天のうちにだけで閉じていると言わざるをえない。こうした人間は詩を知らないし、栄誉を知らない。こうした人間から見ると太陽はカロリー源にすぎないのだ。

 「こうした人間は詩を知らない~」  この点においては、自分も、詩心も詩の素養もない人間なので、こちら側に属するのかもしれません。
 彼のような思想家に『栄誉を知らない』といわれたとしたら、まぁ、黙って頷くしかないですね。しかし、彼の言う栄誉もかなり常軌を逸脱していますので知らなくて結構ですといいたいぐらいです。 

 


 しかし、この狂人バタイユは、ただの悪趣味な知識人ではなかったようです。
若くして市立図書館長に任命されるなど、優秀でインテレクチュアルな人物であったことはまちがいないです。

それは、本書の中でもうかがい知ることができます。
わたしが気がついただけでも、
モースの贈与論
レヴィストロースの未開社会・神話
ベルクソンの「笑い」
サルトルのアンガージュマン
ニーチェの思想「ツァラトゥストラ」「権力(力能)への意志」、ヘーゲルの哲学 らしきもの、
マルクス経済学的な思想など、ありとあらゆる思想が含まれています。

とくに、第6章戦争に記載されている
ユンガーに関しては、本書で始めて知った著述家でした。

しかしながら、1冊に詰め込みすぎですね。

思想のごった煮的書籍になっています。
かえって、バタイユの著作が好きな人にとっては、
反対にそれがいいのかもしれません。   



ところで、 
タイトルの“エポケー”ですが、
これはフッサールの現象学でつかわれる言葉で、
古代ギリシャ語でとまるとか、停止するとかの意味です。
われわれの有する、ごくふつうの世界像・世界観の判断を停止するということです。
ごく普通の世界像の中にも自分が気がつかないうちに入り込んだ憶見(ドクサ)があるので、
これを取り除くために、一旦、判断を停止し、正確な世界観を再認識しようという現象学的還元方法です。 
 
   

苦は、あるいは、デテリトリアリザシオン

絵は、ウィキペディアからの借り物です。
 

Bosch-detail.jpg

Artist Hieronymus Bosch (circa 1450(1450)–1516)
Title The Garden of Earthly Delights.
Alternative names Jheronimus Bosch, Jheronimus van Aken,
Jheronimus van Aeken, Jheronimus Anthonissoen van Aken
Description Southern Netherlandish painter and draughtsman


Date of birth/death circa 1450(1450) 9 August 1516(1516-08-09) (buried)
Location of birth/death 's-Hertogenbosch (?) 's-Hertogenbosch
Work period from 1480(1480) until 1516(1516)
Work location 's-Hertogenbosch
Authority control VIAF: 76401424 | LCCN: n79004071 | PND: 11851380X | WorldCat | WP-Person 



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