Novel

Long time no see

以前放映されたNHKのドラマhttp://www9.nhk.or.jp/dodra/goodbye/
は、たしかに、原作はチャンドラーのものだが、脚本の設定を日本に置き換えており、本書のイメージとは似て非なるものだ。


P16  感傷というものが女性的な特質のように考えられているのは明らかに誤解である。感傷的ということは男性的ということなのだ。それは単純で荒削りな男が自分の心に無意識に施す粉黛である。単純だと思われることの大きらいな男が、センチメンタルだと言われて、いかに憤慨するか見るがいい。『青の時代』三島由紀夫



 


ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
(2010/09/09)
レイモンド・チャンドラー

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長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))
(1976/04)
レイモンド・チャンドラー

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 TVドラマが放映していたころ、チャンドラーの代表作でもある“The Long Goodbye”を再読した。

  本作品は、チャンドラーの作品のなかでも、意見がわかれる作品だ。

 以前は、この手のプロットも集中して愉しめた覚えがあった。今回、改めて読み直してみたが、前回のような感動が蘇ってこない。

 それは何故か? 本書に対する、自分の捉え方に変化が生じているのだ。つまり、歳を経るごとに、(マーローのような登場人物を受け入れられないほど)狡猾になっているか、この種のプロットに対する好みが変わってきているのだ。ある程度の年齢になると勧善懲悪のようなプロットは、たとえノンフィクションであっても、反論や批判が浮かび感情移入できなくなってきているのだろう。


 また、この手の作品としては、あまりにも感傷的な表現が多すぎるきらいがある。同じ娯楽小説としては、ハメットの『マルタの鷹』の方が幾分か上を行っているように思う。非情さを徹底的に強調した方が同じフィクション≒娯楽小説としては楽しめる。
 とはいえ、描写が細かく、この時代背景を、シニカルにわかりやすく描いている点では好感が持てる。 また、(冗長ともいえる)独特な表現方法はなかなかのもの。

 そもそも、再読の契機となったのは、佐藤優氏の『功利主義者の読書術』だった。 同書で、テリーが捕虜になり、拷問を想像させるシーンにおける(清水訳と村上訳の)翻訳の違いを指摘していたからだ。 実際、佐藤氏の指摘は的確で、圧倒的に村上訳の方がわかりやすいし、その場面を想像しやすい。


また、村上氏の「訳者あとがき」も秀逸で、このあとがきを読むためだけでも購入する価値はある。


 
 
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The picaresque「地下室の手記」

The Picaresuque:

 この題字のピカレスクというのは、冠詞のtheがつくと、通常は悪漢小説を意味します。
代表的なものとしては、
レールモントフの「現代の英雄」や、前回、記事にしたシリトーの「長距離走者の孤独」がその類に入ります。
もちろん、今回の記事の中心であるドストエフスキーの作品にも該当するものが多数あります。

 思考と行為とは別のものである。さらに行為の残す心象(イメージ)は別のものである。
これらは、因果関係でむすばれているのではない。
 この蒼ざめた人間のばあいもそうだ。ひとつの心象が、かれを蒼ざめさせているのだ。かれが、その行為をあえてしたとき、かれにはその行為をやってのける力があった。しかし、その行為をなしおえたとき、かれは、その心象に堪えられなくなった。 
「第一部 蒼白の犯罪者」 から抜粋・引用
“Also Sprach Zarathustra” Friedrich Nietzsche 氷上英廣訳 岩波文庫 33-639-2 

地下室の手記 (新潮文庫)
地下室の手記 (新潮文庫)
(1969/12)
ドストエフスキー
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 ロシア文学といえば,トルストイか、ドストエフスキーでしょうね。
個人的に、どちらかと問われれば、ドストエフスキーの方が好きです。
もちろん、私が過去に読んだ作品を前提にしての意見ですが、
既読作品は『罪と罰』だけです。

 『罪と罰』は、ドストエフスキーの著作の中では一番有名ではありますが、面白さでいえば、
『カラ兄~』と『悪霊』の2作品の方が上みたいですね。この2作品は未読なので、近いうちに読む予定です。

『地下室の手記』 についてを
ある方が紹介していたので、上記2作品を読む前の、地慣らしぐらいのつもりで、  
同書『地下室の手記』を読み始めました。 

 絶句です。
読了後の後味の悪さは、今までに感じたことが無いほどです。
太宰の『人間失格』なんて可愛いくらいです。
読んでいる最中に湧いてくるこの嫌悪感は凄まじいものがあります。
この嫌悪感が一体どこからくるものなのか、
主人公に感じているものなのか?それとも、
主人公をとおして、自分に似通っている醜悪な部分を感じ取っているからか?
わからなくなります。 

 モノローグといい、狂気じみたセリフといい、
どこか覚えのあるフレーズがでてくるので、不思議に感じておりましたが、
すぐにピンときました。
ニーチェの思想でした。ニーチェの作品にある表現に酷似したセリフや場面展開が随所に出てくるので、
どこかで読んだような、妙な感じを抱きつつ昨日に読了しました。
上に一部『ツァラトゥストラ』の引用文を記載してみました。
『地下室の手記』を読まれた方は、何となく分かるのではないでしょうか?

ニーチェの箴言を小説にしたような作品です。

最後に『地下室の手記』からの引用で締めます。
 
同書P194-195
 ぼくらから書物を取り上げて、裸にしてみるがいい、ぼくらはすぐさままごついて、途方にくれてしまうだろう。
どこにつけばよいか、何を指針としたらよいかも、何を愛し、何を憎むべきかかも、何を尊敬し、何を軽蔑すべきかも、まるでわからなくなってしまうのじゃないだろうか?ぼくらは、人間であることをさえわずらわしく思っている。ほんものの、自分自身の肉体と血を持った人間であることさえだ。それを恥ずかしく思い、それを恥辱だと考えて、何やらこれまで存在したことのない人間一般とやらになり変わろうとねらっている始末だ。ぼくらは死産児だ、しかも、もうとうの昔から、生きた父親から生まれることをやめてしまい、それがいよいよ気にいってきている始末だ。ぼくらの好みになってきたわけだ。近いうちには、なんとか思想から生まれてくることさえ考えつくだろう。
   






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